博覧会狂   http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kaigadou/picturesDRAC1.jpg (19622 バイト)     

私を博覧会狂にしたのはなんと言ったってEXPO'70大阪万博です

70mmシネラマと進化してきた映像は、万博で壮大な発展をもたらしたよ

うに思います。

今でもはっきり憶えているのは、みどり館での360度映像や鉄鋼館でのレザー光線

と音響の融合した芸術、そしてチェコのガラス館、もちろんアメリカ館、ソビエト

館、西ドイツ館でのカラヤンの映像などなど思い起こせばいくらでも出てきます。

動く歩道もこの時に出来たように記憶しています。今でもよく、万博公園に行きま

すが、太陽の塔を見ると心がうきうきしてきてあのときの興奮がよみがえってきま

す。この間も子供と公園の端の方まで行ったときにアメリカ館 跡と刻んだ石のプレー

トを発見しました。よく見るといろいろな場所に建物の名を記したプレートが在りま

す。これを発見した時の感激は、一瞬にしてそこにあのパビリオンが建っているよう

な錯覚を起こさせるほどの衝撃的なものでした。その他にも万博美術館入り口の 

 壁画や大阪ガスのデリパのなかにある万博記念館は本当に私をあの

夢の世界に連ていってくれます。一度是非、見に行ってください。

    

                      EXPO70写真館.....日本万国博ミニガイドより

すっかり万博に取り憑かれた私は、ポートピア、つくば博、古城博,伝統産業博、シ

ルクロード博、花博、リゾート博、博のつくものなら何でも行きました。

そして都市博にも行く予定でした..........。

何がそんなに面白いのかと言われるとそれはその時点での最新のテクノロジーを使っ

た映像や音響や実験が見られるからです。今ではどこのテーマパークでも見られるよ

うになった立体映像やシュミレーションシアターはみんなこの万博から始まっている

のです。今でもつくばの富士通館の立体ミクロ映像や電力館の屋内コースター、巨大

トマトの栽培、チットモ花を見なかった花博の芙蓉パビリオンの気球の巨大映像やサ

ントリー館(?)の水の映像、期待外れの三菱未来館、ミツバチの冒険をコンピュー

ターグラフィックで見事に立体化した富士通館などまたまたいくらでも思い出されま

す。それとやはり万博の真の意味での各国の物産、調度品などを展示即売しているの

も魅力の一つです。海外旅行が当たり前になった今はそれほど魅力はなくなったかも

しれませんが、当時(70年代)は外国のお土産が買えるのでたいへん楽しみでした。

今では2時間待ちぐらいはこたえません。

愛知の万博が待ち遠しいです。                                           1997.9.23

 

追記1:

 万博ホールで開かれた日本万国博覧会の記録映画上映会(企業パビリオン編とお祭り広場編)に行って来ました。そして、あの万博が紛れも無く今日まで続いてきた博覧会の原点であることを再確認しました。やはりすごいエネルギーだったのだなと感心しました。そして、私があまりにも一部しか見ていなかったことに驚かされました(当然かもしれませんが)。企業パビリオンはほとんど見たように思いましたがいくつも見逃していたことに気が付きましたし、タカラビューテリオンで開かれた未来のファッションショーに現代のガングロそのものが登場したことにも大変驚きました。また、お祭り広場のイベントは全く見ていなかったことも知りました。思い起こせばあの当時、クラシックのオーケストラの来日ラッシュで、1週間に2度3度と大阪フェステバルホールにカラヤンやバーンスタイン、セル、リヒテル、オペラと行きまくっていたので肝心の万博には3度しか行かなかったのを今になって悔やんでいます。ただ、今回この上映会を見て感じたのは万博以後のパビリオンはあまり進化していないことに気が付きました。やはり万博はもう曲がり角に来ているのかもしれません。でも、私の好きな万博は大画面や立体映像、などなどの実験的な試みが好きなのですが... それともう一つ、岡本太郎の太陽の塔の建設フィルムにも感動しました。太陽の塔は私の万博の永遠のシンボルです  2000.5.1 

 

追記2.

太陽の塔内部公開に行ってきました。1回目の抽選では当たらず、2回目も駄目3回目にしてやっと実現しました。ハヤル気持ちを抑えてとはこのことで、じっと順番を待って地下の通路から(当時の入り方ではない)入りました。記憶では中にある「生命の樹」はもっと明るくてちゃちな感じを持っていたのですが、今見てみて、その意味を考えてみると外観の姿といい、内部のオブジェといい、やはり今でも大阪万博、いや日本の万博史上の最大のシンボルとしての存在価値は充分にあると感じました。ただ、当時は「生命の樹」の横をエスカレーターで見ながら上がったので下から見上げるのはなんとも奇妙な気分で、10分程の見学でしたが懐かしさよりも何か古墳に入ったような過去との体験でした。   2004.3.6

 

追記3              

開幕には遅れましたが、4月9日に愛知万博に行ってきました。
万博なら何でも好きですから、面白くないとは言いませんがついつい大阪万博と較べてしまいます(かなり美化されているかもしれませんが)。スケール、国際性、デザイン性、運営面等どれを取っても大阪万博です。やはり、あの時代は高度成長期であり、また、プロデュサーの資質の違いが歴然と出ています。人数的には成功したかもしれませんが、とても万博と呼べるようなものとはいえなかったと思っています。大阪万博の時の日本人の未来に対するエネルギーや、外国パビリオンのユニークなたたずまいに比べて、愛知万博のなんと味気の無いパビリオンだらけだったこと(外国人の姿もまばら)。規模縮小を余儀なくされたとはいえあまりにも平板な造りには愕然としました。また、「自然の叡智」というテーマ自体に無理があったとも思っています。万博は本来、技術の最先端を紹介するものですから。救いはマンモス、現実に化石でなく存在したというリアリティに素直に感動しました。それと外国館です。それぞれの国の主張がはっきりしており、建物はちゃちでしたがそれなりに見応えがありました。日本館(にわとり小屋のような)は恥ずかしくて外国の人に見せられないようなものでした。合計3回行きましたが、
シンボルが残らない博覧会はさみしいです。 2005.9.30 
                                                                                                                                        

 

 

                                   

 

 

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